【リカルダ・ウィリスの復讐】#2

 二本のナイフをV字にクロスさせてバケモノに突き立てると、粘っこい音を立てながらナイフがその体にめり込んでいく。内臓のような触感のあるそれは僅かな抵抗を示すも、リカルダが両腕を力任せに引き伸ばすとそのままメリメリと破れて切り離され、間髪おかずに地面に落ちたそれは、奇妙な色の体液をぶちまけながら痙攣し、暫くすると劣化して生命活動を停止させる。幸いにもそこまで強い相手ではなかったようだ。

「フゥッ」

 リカルダは短く息を吐いて呼吸を整える。
 よくよく考えてみると、異様なこの生命体がナイフでどうにかならない可能性もあったはずだ。偶然うまくいったが、あまり得策であるとはいえなかった。次はもっと慎重に動こう。
 ナイフについたバケモノの体液を振り払い、やつらの気配がないことを確認して男の元へ駆け寄る。男は半ば腰を抜かしながらも、リカルダに深く頭を下げた。
 なんとなく見覚えのある顔に、リカルダは若干の違和感を覚える。

「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう…君は…?」
「兎に角!こちらに!」

 リカルダが男の手を引き無理やり立たせると、突如バケモノの触手が地面にズボリとめり込んだ。ヒッ、と男は悲鳴を上げて怯んでしまう。バケモノたちは男の悲鳴に反応してこちらに気づき、ジワジワと方向転換しながら近づいてきた。しかし、男の身体は恐怖のあまり意思に反して硬直しており、ガクガクと震えている。これはまずい。

「死にたくなければ動け!」
「ヒィッ!!」

 リカルダの咆哮に突き動かされるように、男は慌てて足を動かすと再びズボリと地面に穴が開いた。その細い脚がもつれて危うく地面に転びそうになりながらも、リカルダの強い力に引っぱられてなんとか立ち直り、二人して公園に向かって走る。リカルダは通路を塞いできたバケモノどもをナイフで切り裂き、蹴り飛ばして跳ね除ける。そのまま男を先にドーム型の遊具の中へ突っ込み、追ってきたバケモノを勢いにまかせて真っ二つに切り裂き、体液がかからないように避けながら遊具の中へ滑り込んだ。

「パパ!!」
「エディー!!それに、ヒコマルまで…!」

 ヒコマルとはまた珍しい名前のネコだ…。
 そう呼ばれたネコは、主人の声を聞くとニャァと鳴き、その脚に体をぐいぐいと擦り付ける。

「パパ!ボクね!お姉ちゃんの言う通りにパパが来るまでじっとしてたの!それでね!すっごく怖くてね!ヒコマルが震えててね!ボクが大丈夫だって励ましてたの!!パパ!!ボクえらいよ!」

 少年エディーはあまりのショックに涙を流し、よだれも鼻水を垂らしながら父親の胸に飛び込んで全部まとめてやたら高そうなスーツにつけ散らかすが、父親は子が無事だったことを心底喜び、ぐっと抱き寄せた。

「…君が助けてくれたんだね。本当にありがとう。君は私と私の息子とヒコマルの命の恩人だ。」
「エディーも、ヒコマルも賢い子ですね。」
「ふふっ。」

 リカルダは外への警戒を解かぬまま、親子たちに背を向けて話す。

「君は軍人さんなのかい?」
「いえ、ついさっき不合格通知を貰ってきたばかりですよ」
「…ブフッ!」

 何がおかしいの!?と危うく男を怒鳴りつけそうになったが、彼も少年と同じく緊張が解けて笑いのツボがおかしな位置に移動したのだ、と思うことにした。

「でも、君ほどの力を持つものが…」
「頭悪いですからね。私。」
「そうか…君、名前をお聞きしても?」
「あら、レディに名を聞くときはそちらから名乗るものではなくて?」
「おっと失礼。」

 男は狭い遊具の中、子供とネコを抱えながら、出来得る限りの礼を以てリカルダに頭を下げる。

「私は、カール・クンツェンドルフと申します、レディ。」
「―…ッ、私は、リカルダ・ウィリス…です。」

 その名前に聞き覚えがある。バケモノが近づいてきたのを察知した振りをしてその場を凌いだが、この男、仮にもヨルネア国の士官学校の試験を受けようかという人物に対し、その忌まわしい名を隠す気がないのだろうか。まあ、そんな危険な男に対してうっかり本名を名乗ってしまう自分も大概愚か者だと彼女は思う。

「リカルダ…とてもステキな名前だね。」
「…ありがとうございます。」
「その感情を隠さなくてもいい。恐らくは君の想定通りの人物だからね。」

 カール・クンツェンドルフ。
 結論から言うと、彼は闇取引の仲介人。寄越せと金を積まれれば何でも運ぶある意味運び屋のエキスパートだ。そんな人物が何故お供をつけずに丸腰でこの住宅街をうろついているんだ、という疑問が浮上するが、うろつくことが出来ている以上は政治的に何らかの関与があり、安易に裁けない存在であるということか、或いは…

「私の付き人は全員あのバケモノどもにやられてしまったよ。」

 成程。金で雇われただけの護衛であれば自分の命すら危うい事態に陥れば主人を捨ててでも己の命を優先するだろうから、今現在、主人のみが無事ということは彼は護衛たちが命を賭して護るだけの価値がある人物であることが解る。

「部下はもう一人も居ないということかしら。」
「そういうことになるね。」
「私は御免だわ。今回は賢いエディとヒコマルに免じて貴方に会わなかったことにしてあげる。」
「しかし、私は君に多大なる借りがあるのでね。返さずに、というわけにはいかない。」
「金輪際関わらないということで手を打つわ。」
「私達に一生ここに居ろと?」
「場合によってはその方が世のため人のためと私は判断している。」
「…解った。それでは、2,000万で私のアジトまで送り届けてくれるか。」
「は!?」

 何が「解った」だ、何も解ってないじゃないかとリカルダは吐き捨てるように言うが、男は不敵な笑みを浮かべ、狭い遊具の中で片腕を折って胸元に添え、優雅に頭を下げる。

「世のため人のための名誉ある仕事だ。」
「嘘でしょう?どこの口がそんな事言うの?」
「私の仕事は、そういう仕事なのだ。場合によっては国の要人を秘密裏に運ぶこともある。その行為によって起こるべくして起こる戦争や過激派ゲリラの大量虐殺などを防いだこともあった。…まあ、残りの半分は君の思うような事をしているわけだが…」
「綺麗事だけじゃ世の中はまわらない…とでも。」
「聡明な君ならば理解できると思っているがね。」
「…はぁ…」

 とんでもない人物と関わってしまった、リカルダは心の奥底から後悔する。
 ここでさようならと簡単に見捨ててしまうこともできるが、賢いエディとヒコマルを放っていくのは気が引ける。とはいえ、このエディはいずれカールの跡を継いで闇に手を染める者だ。見捨てても別に悪くないはずでは…?
 いや、要人を運ぶような仕事をしている存在を見捨てたとあっては、後々政府にバレた時に結局自分が追われる身となるわけで…

「もーーーう!!いいわよ、まとめて面倒見るわ!!でも2,000万じゃ足りない、1億よ!」

 最後のあがきでとんでもない額をふっかけてみたが

「解った、1億でいいのだな。手を打とう。」
「えーーー!?」

 あまりにもあっさりとカールから承諾を得てしまい、リカルダは遊具を吹っ飛ばす勢いで叫ぶ。しかもカールは追い打ちをかけるように裏ポケットから万年筆と小切手の束を取り出し、数字をサラサラと書いて切り取り、それをリカルダに手渡し、ぐっと握らせる。その紙質や匂い、そして深凹版印刷特有の手触りや隠し文字…銀行の印影などから小切手が偽物でないことをこれでもかというほど叩きつけられる。

「あわわわ…ホ、本物の1億…うっそでしょ…」
「私達3人の命を救ってくれ。そのためならいくらでも金は積む。」
「わ…わ…」
「1億で足りないのならば、10億でも出す。100億はさすがにきついがね。」
「お願い、お姉ちゃん!!ボクのパパを助けて!」
「にゃー」

 10億、と言い切るカールの目が全く冗談を言っていない。ふつふつと気持ち悪い汗が全身から吹き出し、息をすることすらままならない。さっきの奇妙なバケモノに睨まれるより余程カールのほうが恐ろしい。

 ―― にゃーじゃないわよ、ヒコマル!あなただけは私の味方だと思ってたのに…!

 どこに当たり散らしているんだと内なる聖人リカルダが鋭くツッコミを入れるが、内なるもうひとりの強欲のリカルダが無慈悲に聖人リカルダを蹴り飛ばし一発KOする。
 今、カールたち親子を救うにしても救わないにしてもどちらにしてもこの先隠れて生きるしか選択肢はない。だったら、金の自由くらいはあっても罰は当たらないはずだ。

「わ…解ったわ、女に二言はない!!もう~~!!どうにでもなれだわ!!1億であなた達3人を救うわよ!!」
「1億でいいのか?なかなか面白い女性だな…」
「うっさいわ!!札でビンタするあんたのほうが余程愉快よ!!っていうか、最初の2000万は何!?」
「私が護衛を雇う時の基本支給額だ」
「あ、そういうことですか。」

 プライドやら何やら人として大事な物がゲシュタルト崩壊したリカルダの中から恐怖がすっぽりと抜け落ちていく。今なら自分含めて全員生還するだろう、根拠の全く無い自信さえある。
 兎にも角にも、心底ムカつくクソ野郎と賢い子供と裏切り者のネコを庇いつつ、この窮地をいかに脱するか。リカルダは何度も深呼吸しながら頭の中を整理する。
 カールの本拠地はこの公園から1キロ程先にいった地下にあるそうだ。ほぼ一本道なので迷うことはなさそうだが、子供の足で1キロ走らせるのは結構きつい。カールにエディをおぶってもらい、ヒコマルはカールのリュックの中に入ってもらうことにする。
 そんなことよりも、もうすぐ日暮れだ、日の明るいうちに動かないと夜がどうなるか分からない。

「使えるのならば、これを。」

 カールから自動拳銃を手渡される。よく見る量産型の9口径の物だ。途中で2~3発撃ったらしいので、残りは14~5発といったところか。

「いざとなったら貴方にも戦ってもらわないといけないのよ、もってなさい。」
「いや、これは予備だ。私用は別にある。」

 そう言って、別の特注の拳銃をリカルダに見せた。こちらは一発も撃っていないという。普段使い慣れない方でバケモノを迎え撃つとは、やはり相当に混乱していたのだろう。

「そう、それならばこちらはありがたく使わせてもらうわ。」

 カールから拳銃を受取り、再度自分の装備を確認する。武器になりそうなものは、手持ちのナイフに拳銃に、あとは香水くらいか。先程のバケモノの動きから色々とシミュレートしてみるが、複数の種類のバケモノが居るだろうことを考えれば、あれこれ考えるよりその場その場で判断して斬り込んだ方が早い。

「いい?私が全部を引きつけるから、壁に背を預けて身を低くして。踏み潰せそうなものは踏み潰して。なに、青虫みたいなものだわ。」
「君が言うと本当にそう見えてくるから不思議だな」
「貴方のお陰で今の私は無敵の人よ」
「自棄糞でないことを祈るがね」
「そう、それなら貴方だけ此処で熱心に神に祈っているといいわよ。」
「すまなかった。赦してくれ。」
「素直でよろしい。」

 リカルダは遊具の穴から外を伺う。先程リカルダが倒したバケモノ級の大きさの者は居なくなっており、やや小型のバケモノがウロウロしながら何処かに向かって飛んでいっている。そういえば、あれだけけたたましく聞こえていた悲鳴も銃声もいつの間にか聞こえなくなっている。残念ながらこの近辺では生き残っている人間は自分たち以外は居なさそうだ。

 ―― もしかすると、物音さえ立てなければここを切り抜けられるのでは…?いや、そう考えるのは早計か。

 兎にも角にも自分が動かねば始まらない。
 リカルダは息を吸い込み、吐き出す。

「いくわよ」

 自分を奮い立たせるべくリカルダは強く声を吐き、遊具の穴から勢いよく外に飛び出た。

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